2017年10月9日月曜日

誰も悟らない。

先月末から麗子先生のトレーニングに参加しています。


麗子先生の知識の豊富さは素晴らしくて、

ヨガの本質、解剖学、脳科学、
伝統的なアシュタンガ、アイアンガーヨガの教え、現代の人に実際にヨガを伝えるときのテクニック、生徒さんの体を見る目、コンディショニング。


ほんとに広い範囲のことを、
必要に応じてバランスよく教えてくれる。


ぎゅっと凝縮して学んでいます。

美味しいとこどりです。



なんでアーサナをするのか?
それは、瞑想するための強靭な体をつくるため。 

じゃあ、なぜ瞑想をするのか?

それを次のトレーニングまでに考えてきてね。
と言われています。



トレーニングに一緒に参加している人が、
この本を教えてくれました。


その人の話が、とっても興味深かったので、早速読んでいます。


その人の話を聞いていて、
なんというか、
へ、、、?
はっ!というかんじ。



わたしはヨガをして瞑想して、
解放されていっているんだって思っていた。


小さな世界から、
どんどん解放されていってるんだって。


でも、そうじゃないときの自分も感じるから。

なんだか解明できなくて、
納得したつもりが、迷うこともあって。




そもそも求めていることは、

学んで習得したり、
たくさん練習して手に入れたりするものじゃなかったのかもしれない。




自分対、なにかという関係性の中で
生きている以上、
気づかないんだ。


〇〇から解放されるっていうより、
それと自分は一緒だったってこと。




この本にはこんなことが書いてありました。


『誰も悟らない。
それは、ただある。

自分のものにはできないし、手に入れたり勝ち取ったりもできない。


 本質的に、悟りは、
悟れる人も、悟れる何かも存在しないという突然の理解を伴う。


ありとあらゆるものはひとつであるけれど、それを見つけようとしてすることすべてが、その邪魔になる。


誰もが本来持っている能力。

その能力とは、
呼吸と同じように自然で単純で

いつでも手に入るものを認識し、
許容する力。


ありとあらゆるものがひとつであるっていう感覚。


赤ちゃんが、この世に生まれた時は、まっさらで、
そんな感じだったのかな。



自分に名前があることを知って、

男だ、女だって認識して、
どんどん自我が芽生えて、

経験を積んで大人になる。

それが普通なことで、
疑問さえもたなかった。


 


全部がひとつの世界は、
何にもない。
楽しいとか、怒りとか、悲しいっていう感情も。

そんな話になったときに、

でもそれだと、つまらないじゃんと、麗子先生は笑ってました。



だから、わたしが、私としてこの世界に生まれてきた理由、
それはなんなの?って。




これも宿題です。





いろんなことが覆されて、
 わたし、ちょっと混乱中です。





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